2022年10月22日土曜日

1967 Porsche 911R

 1967年 911R

911最初のコンペティションモデルです。

エンジンは、カレラ6のエンジンが乗っている・・・

って聞いてた・・・・。

だけどこれは、キャブじゃない!

ボッシュの機械式インジェクション


これは、トリプルウェーバーキャブ。

ダブルイグニッションは同じ・・・

よーく見ると・・・・

ヘッドの形状違わない・・・?

そうなんです・・・4カム



911Rに積まれた通常のフラット6は、901/22エンジンでトリプルウェーバーが標準・・・と言っても全部で20数台しかないですが・・・・・。数台、ボッシュの機械式インジェクションもあったようです。

見たことないですが・・・。 どちらも、210 bhp。

これは、20台生産前に作られたプロトタイプで

917の12気筒エンジンの半分でツインオーバーヘッドカム(4カム)の

Type916というエンジンです。

901/22の7200rpmからプラス1000、8200rpm回すことが出来230bhp。

せっかくなんで、細部の写真


ポルシェの軽量化方程式もこの頃確立されたと思います。
後の、RSR,RSへと続くライトウエイトのスタートです。
911Rは、ドアヒンジもアルミ・・。
シェル以外取り外し可能な部品は、FRPやアルミに変更され、量産911Sから270Kg軽量されて800Kg!

800Kgはすごい!!













2022年10月12日水曜日

Porsche 904CarreraGTS 走行-2


トランポから降ろして
走行準備







その頃には、晴れていい天気!






356の4カムエンジンの車には、何度か乗りました。
ですが、今までこのエンジンに興味を持ったことは、正直一度もありませんでした。
音もエンジンのフィーリングにも・・・

一部のマニアが、4カムって騒ぐ意味が僕には分かりませんでした。




本当に調子のいい(本物)に出会うと印象はがらりと変わる事が今までも幾度かありました。今回もそう・・・。

587/3型エンジン、凄くいい!!
年のせいかな・・?


2.0LのSのエンジンの時もそう・・・。何台も乗った後、本物(本調子)に出会った時に
初めて本来の姿を見たように思いました。僕は、それまで知らなかったって事になるんです。ポルシェの鳥肌が立つよな衝撃は、まだまだ残ってるんです・・・・。



動画は、慣らしで6,000回転位の時だと思います。
あと、2,000回転回ります・・・。




2022年10月10日月曜日

Porsche 904CarreraGTS 走行-1

 ドイツで空港を使って、4カムエンジンの慣らしをしてきました・・・・。








この空港は、元米軍が使用していたところで、現在は民間企業が物流輸送機の

発着に使用しているそうです。

昔は、DTMのレースでも使用されていました。







朝は、霧で・・よく見えませんが、ストレートは3Kmあります。

意外だと思いますが、ドイツのサーキットは通常騒音規制が厳しくて(100㏈以下)

4カムエンジンのレース用マフラーでは、走らせてくれないんです・・・・。

つづく・・・。

オートバウ(Autobau)

 オートバウというスイスのボーデン湖にある

ミュージアム、イベント会場にて、BURN モータースポーツの歴史を綴った本の出版記念パーティーにバルト氏の誘いで参加させていただきました。

彼が本の監修をしたようです。











Burnと言えば、僕が未だF3に乗っていた1987-ごろ

日本でも走っていた・・・事は、記憶にあります。

ル・マンにも、日本のスポーンサーで出走しています。

ポルシェ956-962の写真を見ると・・・これ、そうだったんだ・・・って、

思い出す車両が沢山ありました・・・。

僕が、1990年フロムAポルシェ962Cに、日本で乗る機会を貰った年に

ル・マンに参戦したフロムAポルシェもBurnモータースポーツが、ジョイントしていたようです・・・・。

本の中には、森脇さんや、中谷さんが写った写真もありました。















会場には、ティリーブーツェン、ヨッヘン・マス、日本でもおなじみの
オスカー・ララウリなど懐かしのビックネームも・・・。

スイスボーデン湖にあるミュージアムでポルシェはもちろん、

歴代レーシングカーがズラリ・・・これだけ揃っているところは珍しいと思います。





















1990年代にF1にもチャレンジしていたんです・・・。

ステファノ・モデナ(懐かしい)彼のマカオでのF3 レースは、現地で見ました。

雨の中での走りは、鮮明に覚えています。衝撃的な走りでした・・・。

彼のF3000、F1のサポートもBurnがしていたようです・・・。

今回の出版の考案は、息子さん・・・。

親孝行な息子さんで、うらやましいですね・・・。

しかし、偉大というかレースに夢中になってしまったお父さん、

どんな気持ちで見ていたんでしょうか・・・・・大変だったんじゃないかとか

歴史を振り返ると・・・・勝手に思ってしまいました・・・。

モータースポーツへの歴史観、ここでも日本とはかなり違うな・・・と感じました。